紀州堀越癪觀音略縁起
當山御本尊秘佛十一面観世音菩薩は 天智天皇の四年役ノ行者神変大菩薩葛城開峯の砌 御母公癪の病となられし時三七日間祈願の誠を凝らし一刀三礼のもとに彫刻されし霊像是也 燈明ケ嶽に菴を営み安置祈念したる処忽ちに御母公の病平癒せられたり 爾来世に癪除け観世音菩薩と称えられ効験利益を求むる衆日毎に増え発興せり 其の後天正年間根来寺兵火に炎上せる時 峯を越えて来攻せる軍兵のため伽藍悉く焼亡せり 信心の人御本尊を火中より移すと云うも爾後尊像の行方知れずとなりぬ
然るに時移り慶長年間に至りて當堀越村に喜平次という者あり 積年癪痛に困苦すること甚だし 予てより観世音に救いを求め居りしが 或夜観世音菩薩夢に現れ「信心の誠篤き其の方我は泉州大津之浦の茅屋にあり 我を迎えて諸人の癪難を助けよ」と霊告あり 夢より覚めて有り難き奇験の思いに直ちに大津之浦に訪ぬるもせ唯波音計りにて人影なし 夕暮れ近く詮方なく立ら帰らんと思う折 霊人忽然と現れ御手に捧げし光明赫々たる観世音を示し「急ぎ迎い奉れ」と云いて消え給う 其の台座を看るに堀越癪除観世音と書付けあり夢は眞也 しかと地に伏し拝みて尊像背に負いて随喜の涙流しつつ我が家に帰り草菴に安置す 以来癪観音の御威光再び輝き其の御名遠くに聞こえ参詣の人多し 霊像いまに信心の人に霊験を顕わし御利益を戴き病難をのがれる人あとを断たず 古き縁起云う 寺号を賜り観世音と号す この観世音菩薩を信ずる者癪の病難を除き福徳自在にして二世の安楽諸願成就を得ると その御誓願誠に有り難き霊縁なり 又曰く 慶長再建以来毎年聖護院御殿並びに葛城大先達の御法所として国家安穏の修法の霊跡也と
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