蟻通神社 「由 緒」 |
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天武天皇 白鳳二年、唐の高宗が日本国の知恵を試さんと七曲りの玉を献じ、これに糸を通せと難題を掛けてきた。そこへ一人の翁が現われ、山蟻の腰に糸を結んでこれを玉の入口に入れ、出口には蜂蜜を塗った。蟻は密の香りを慕って七曲りの玉を通り抜け、見事糸を通すことができた。翁に名を問うと『七曲りにまがれる玉の緒を貫きて蟻通しとは誰が知らずや』と一首歌を詠んで消え去ったと伝わっている。依って神人ならんと、この年、神号を蟻通と賜わり志富田(渋田)荘の氏神として崇め祀る。天正九年、織田信長の高野攻めの際兵火にかかり、本殿、脇宮二殿、御神輿庫、御供所を消失、神社の由緒来歴を始め宝物等多く滅失せり、現在でも土面を掘れば焼跡が現われる。 文禄二年、元の場所に御本殿を建て遷座する。本殿左前に高さ約一.五mの自然石造り大狛犬が在り、小児足下をくぐれば疫病軽く治まると伝わっている。また蟻が通り抜けた因縁により、知恵の輪くぐりとして崇敬され、入試・入学・就職時などは地元はもとより近郷近在より参詣祈願者が多く後をたたない。 |
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国道480号線沿いの駐車場から、入口右手に |
国道480号線沿いの駐車場から本殿へ。 |
本殿(正面から) |
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脇宮(左) |
脇宮(右) |