「三谷坂は木陰にして深き泥なし 道ほど近し かたがた神妙の由 上下よろこびをなす」
白河天皇の第四王子の覚法法親王の「高野山参籠日記」にみえるように、三谷坂は勾配こそ急ではあったが、高野参詣には、町石道よりよく整備された、しかも近道であったことがわかる。
当時の高野参詣のメインルートとされていた町石道がまだ充分に整備されておらず、泥深い道でしかも遠回りであったことがわかる。三谷坂は、丹生都比売神社の神主や勅使(天皇の使い)の道でした。また、一般にも道が良くて水があることから良く利用された道でした。
現在の紀ノ川高校付近から紀ノ川を渡り三谷小学校付近に上陸し、丹生酒殿神社から天野大社(丹生都比売神社)を参拝し高野山に参詣していたのです。
天野大社(丹生都比売神社)は高野山の地主神です。かつて、妙寺小学校秋の遠足コースでした。 |