高野山町石道をガイドしましょう  ENGLISH

元寇と高野山町石道の紙芝居
高野山町石道(こうやさんちょういしみち)
 高野山町石は九度山の慈尊院から高野山奥の院の御廟まで約24Kmの道のりで、1町おきに町石(慈尊院から伽藍まで180基、伽藍から御廟まで36基)と36町ごとに里石(りせき)4基が立ち並んでいます。
 昔は木造の卒塔婆が建てられていましたが、文永2年(1265)に高野山遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、当時の鎌倉幕府の要人であった安達泰盛らの勧進によって、後嵯峨上皇をはじめ幕府の有力者であった北条政村・時宗らの援助のもと、200余基が発願後20年の歳月をかけて弘安8年(1285)に完成しました。この町石は高さ約3m、五輪卒塔婆形の石柱で、山上36町を金剛界37尊、山下180町を胎蔵界180尊にあて、それぞれを表す梵字と施主の名前が彫り刻まれています。町石は高野山表参道の道標であるとともに、人々は1町ごとの町石に手を合わせて二世安楽、欣求浄土を祈りました。
*蒙古襲来の文永の役は1274年、弘安の役1281年。
*慈尊院の石段を登って、丹生官省符神社の鳥居右横に180町石があります。高野山大門をくぐって伽藍で1町石となります。 九度山町に23基、かつらぎ町に61基、高野町に96基あります。1町は約109m。
        高野山町石道
    慈尊院から大門までの地図

    平成の町石道計画はこちら
    
町石道と平成の町石道地図
          慈尊院の入り口
  さあ、奥の院御廟へ出発しましょう  写真中央に乳房の羽二重が掛けられています
 丹生官省符神社の石段、右上に180町石      高野参詣第一歩の180町石

 高野山町石は完成後700年間に数度の補修で50基ほどが再建された以外は、長い風雪に耐えて創建当時のままで今もなお立っており、昭和52年7月「国の史跡」に指定されました。平成6年から5年間にわたって、高野山町石保存修理事業が順次施工されました。二ツ鳥居の解体修理をはじめ7基の町石保存修理・東屋風の休憩所、道路面の改良、道標とイラストマップ案内板の設置などの工事をおこない、その景観を一新しました。この「平成の大修理」事業以来、訪れるハイキング登山者がますます増えて、かつらぎ町の四季折々風光を楽しんでくれています。二ツ鳥居から天野の里がよく見えます。
*正面に梵字のほかに「十方施主」「十方檀那」の四文字だけの石が6基あります。高野山町石は上皇をはじめ名門の武士、女性および高僧・修行僧から、名もない庶民にいたるまで、男女、上下分けへだて多くの人々が真心込めて寄進したものです
            二ツ鳥居        二ツ鳥居にある120町石