太鼓橋の上から正面

太鼓橋(雨の日には)足下にご注意

丹生都比売神社の略記

御祭神

    にぶつひめのおおかみ             たかのみこのおおかみ
第一殿 丹生都比売大神 (丹生明神)     第二殿 高野御子大神 (狩場明神)

     おおげつひめのおおかみ            いちきしまひめのおおかみ
第三殿 大食都比売大神 (気比明神)
   第四殿 市杵島比売大神(厳島明神)

 
当社は通称天野神社・天野四社明神・天野大社の名があります。

丹生都比売大神は日本の国をお作りになった伊井諾・伊井冊の神様の御子で伊勢皇大神宮にお祀りしてあります。日本の祖神天照皇大神の御妹神であらせられ稚日女尊(あかひるめのみこと)とも申し上げました。大神は機を織ること織物の祖神でもありまして、丹生都比売大神のお子様に当る高野御子大神と共に紀伊・大和地方を御巡歴になり人々のために農耕殖産(衣食の道・織物の道)を教え導かれまして最後にこの天野の地にお住い遊ばされました。

和歌山県のワカヤマ−ワカノウラ−ワカヒルメ 伊都郡のイト−糸皆大神の御神恩を忘れない為の名称です。伝え伝えて今尚近辺では織物の産地として名高いのです。

神功皇后三韓征伐の当時当社の神勅によって大勝を得られましたので、皇后の御子応神天皇は御神験によって深く御崇敬遊ばされその報賽として紀北地方の広大な土地を神領地として御治定になりました。その後仁徳・天智・天武・元明天皇も神戸・神田を御寄進され、公家・武家も亦御崇敬され、特に御皇室の御崇敬は厚く延喜の制で名神大社に列せられ大正十三年官幣大社に御治定相成り戦後は別表神社に指定されております。

又古く弘仁六年弘法大師は遙々京都の高雄から参拝し参籠して境内の一隅に曼陀羅庵を建立し全胎両部神道説を立て真言宗密教修法の道場として勅許を得て当時神社の狩場であった今の高野山を開拓してこの俺を移し山王院今の総本山金剛峯寺と改め仏教弘布の根本道場とされました。この時神白・神黒という二匹の白・黒の犬のおみちびきを得られ心願成就されましたので爾来弘法大師はこれ偏に当社大神の御稜威によるものとして連年祭儀を怠らず報賽祈願を続けられ真言宗御守護の大神・仏教弘布の大恩神と遺告され現在尚おみちびきの神学問の神として崇め奉ります。

第三殿・第四殿の大神は鎌倉時代の初め承元二年神託により敦賀の気比神宮と宮島の厳島神社より勧請され、食物の神、海上安全守護の神として御崇敬厚く当社は夫々四柱の神を各殿にお祀り申し上げてありますので四社明神と呼ばれおみちびきの神(御神徳にちなみ開運・織物・学問・食物・安産・海や山の狩・清祓・結婚等生活向上の神として)御神徳が高いのであります。

高野山に参詣の人々も片詣りにならぬようにとこの本宮である天野大社に参拝し祖師の念願に添うて御神恩を感謝しお蔭やおみちびきを得ようと参詣者が後をたちません。

祭礼は十月十六日の秋の例祭の外大・中祭多い中に当社の特殊神事であります一月第三日曜日の御田神事厄除祭は古式そのままで遠近の参拝者で賑います。又四月第三日曜日の花盛祭には各自各自に時の花を奉納し他所には過ぎし春の景色を再び高原に迎えて鶯や小鳥の鳴く音を聴きつつ遅々たる春の一日を楽しみます。又七月十八日は古く白河法皇の勅願により創められた国家安泰と無病息災を祈願する神還祭が執り行われます。

又当社の宝物類には国宝や重要文化財に指定されているものが多く保存されています。

   楼 門 (永正九年落慶)           一 字
   鍍金装神輿                   二 基
   銀銅蛭巻太刀・兵庫鎖太刀他        六 口
   法華経(弘法大師真筆後醍醐天皇奉納)  八 巻
   金銅琵琶  (平政子奉納)          一 面
   本殿四社明神
   木造狛犬                   四対八頭
   その他社宝類多し

春の花をめで夏は新緑の木ずゑに間断なく杜鵑がなく声を聞き秋は紅葉・冬の雪景と四季とりどりの勝れた趣があるこの天野の原はまさに高天原であり全くすばらしい別天地で静かな神域に朱塗の太鼓橋と楼門が相映じて聳え鏡池の鯉や亀を眺むるも亦格別であります。

                ×     ×     ×     ×     ×     ×
              高野山仰ぐを更に仰ぐかなにふつ姫神ふもとながらに    契 沖

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和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野230
丹生都比売神社
電話(0736)26−0102
鳥居から太鼓橋

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