根來寺の始まり

平安時代後期の僧「覚鑁(かくばん)」が鳥羽上皇の庇護を受けて長承元年(1132年)に高野山内に建てた学問研究の場である「伝法院」と修禅の場である「密厳院」を建立したのが始まりで、同時期に根来近郊の豊福(ぶふく)寺:後の根来寺を院宣により賜り、新たに円明寺をたて伝法会道場とし、覚鑁上人を筆頭とする第伝法院は大いに隆盛しました。
3年後に覚鑁上人は円明寺で没しましたが、それから1世紀以上後の正応元年(1288年)に大伝法院の学頭であった頼喩(らいゆ)が大伝法院の寺籍を根來に移しました。

宗教都市・根來と焼失

室町時代末期に最盛期を迎えた根来寺は、根來衆と呼ばれる僧兵1万人余の一大軍事集団を擁する宗教都市になりました。ところが豊臣秀吉による雑賀攻め(紀州征伐)によって各地で敗れ、根來寺は大師堂、大塔など数棟を遺して焼け落ちてしまいました。また焼け残った大伝法堂は、信長の廟所として建立する予定だった天正寺の本堂にするために解体して持ち去りましたが、実際には建立されませんでした。

江戸時代以降

江戸時代になると紀州徳川家の庇護のもと、主要な伽藍も復興されました。また、東山天皇より覚鑁上人に「興教大師」の大師号が下賜されました。
1976年(昭和51年)から寺域の発掘調査が進められ、往時の根来寺の規模が400万平方メートル余りであることが学術的に裏付けられました。また陶磁器・漆器・仏具・武器等の遺品が大量に出土し、これらは敷地内にたてられた「岩出市立民俗資料館」で保管・展示されています。

道の駅ねごろ歴史の丘

平成29年にオープンした道の駅で、根來寺の紹介と県内のお土産物を取り揃えた物販施設、飲食施設などがあります。ねごろ歴史資料館が併設されており、周辺には旧和歌山県議会議事堂もあります。

アクセスについて

車でのアクセス

京奈和自動車道の岩出根来I.C.から約1.6km(約3分)です。

電車でのアクセス

JR和歌山線の岩出駅から約5kmです。タクシーで行くのがおススメです。岩出市巡回のコミュニティバスもありますが、根来寺行きは1日8本、根来寺大門前ですと1日16本ありますが、ほぼ似たような時間ですので実質は8本しかないと考えて下さい。