町石道ウオーク ・・・4 | |
136町石は「六本杉」、六本の杉があったのでなく、ここに見事な杉並木があったことから、そういわれているのでしょう。六本杉から120町石の二ツ鳥居までも緩やかなアップダウン。六本杉から町石道をそれて天野の里へ(1.3Km)、丹生都売神社に参拝して二ツ鳥居から町石道に入ることができます。 天野の里は「ホタルの里・平家物語の里・・・・」 はこちら | |
136町石の六本杉 | 六本杉から丹生都比売神社へ |
八丁坂を登りきると二ツ鳥居 | 丹生都比売神社 |
二ツ鳥居 | 二ツ鳥居にある120町石 |
丹生都比売神社(にうつひめ)の前を通って、八丁坂を上り詰めると町石道に出る。そこに石造りの鳥居が二つ並んでいる。弘法大師が高野山を開いた翌年、木の鳥居が建てられたのが最初である。 平安時代に高野参りが盛んになったころ、この鳥居から上の方は「聖域」と決められたらしい。仏様をまつるおごそかな土地との境を示す印であったのかも知れない。大声を出すこともなく、1丁(109m)ごとの「卒塔婆」にただ一心にお経をとなえながら登った、表参道の大鳥居である。 石に建て替えられたのは江戸時代の初めで、補陀落院(ふだらくいん)のお坊さんが私財を投げうって造ったといわれている。大鳥居の金箔の額は西を向いてたので、夕日に光り輝いて、遠く和歌浦の海では夕方の漁ができないと、苦情がもちこまれたという。(「かつらぎ町今むかし話」より) |
二ツ鳥居は高野山の地主神である丹生都比売神社の祭神、丹生都比売神、高の明神を遙拝したところ。 二ツ鳥居は1649年(慶安2年)5月にそれまでの木造から石造りに改められた。 120町石正面に、「百二十町沙門了心」、右側には 「為父母」、左側には文永七年二月と刻まれている。 丹生都比売神社から「平成の町石道」としている勅使坂を下ってJR和歌山線 妙寺駅をめざすコースがあります。 妙寺駅の駅舎は全国でも珍しい民間資本100%の観光物産センターとなっています。 妙寺駅マルシェHPへ |